29

道北

人形作家  宮竹 眞澄さん

過ぎ去りし良き時代の優しさと暖かさを笑顔で

1949年生まれ、大分県宇佐市出身。福岡県福岡市の調理師専門学校を卒業後上京し、沖電気の社員寮の調理師となる。1973年に結婚し退社。これまでに70回を超える展示会を夫の博信さんとともに開催してきた。今は旭川市東旭川地区で仮住まい。

印刷用PDF

きっかけ
 幼いころから「作ること」が好きでした。人形創作を始めたのは29歳の時。「人形を作ってみようか」と人形創作の本を買ってきました。趣味の範囲でその後も続けてきましたが、人形作家を「職」としてスタートさせたのは1991年に東川町に移住し、子育ても終わった2008年のこと。東川町への移住は、豊かな自然の中で暮らしたい、という夫の決断です。このまちに住む方々の暮らしや表情を観察し、こつこつと人形を作っていたのですが、夫から「どうせやるなら職業としてやってみたら」という一言が踏み出すきっかけになりました。
苦労
 1つの作品の創作には1か月から2か月ほどかかります。頭の中で「ああかなぁ、こうかなぁ」と、何日も構図を考え、表情やしぐさは作業をしながら作り上げていきます。教室に通ったことはありません。自分の世界で自分の人形を作りたかったからです。好きなことをやっているので苦労とは感じません。あるとすれば、道外の展示会の際の周知ですね。地縁も血縁もない場所での開催なので、夫とともにマスコミを訪れ、紹介していただけるようお願いします。幸い、ほとんどの方が協力してくれます。ありがたいですね。
満足度
 今の活動範囲は道外にまで広がっています。移動の時は、運転する夫の隣で風景を眺め、そこのいる方々の表情を観察し作品に活かします。今も続いている「心のふる里人形展」は、2008年から始めました。忘れかけている田舎の生活にあった喜びや笑顔を人形を通して伝えたい、残しておきたい、という思いがあります。展示会を訪れた方々の中には、昔を思い出し、私の手を握って「初めてあなたに話すことができた。ありがとう」と泣きながら話をした方もいます。人形を見た方に少しだけ笑顔と元気を与えているのかな、と思うと嬉しいですね。
これから
 いろんな土地に行って多くの方に出会うことが何よりも楽しいです。開催期間中はずっと会場にいて、訪れた方と会話します。作品のヒントもこうした方たちからいただくこともあります。元気でいる限りは展示会を開催したいですね。常設の展示施設があったら良いのに、という方もいます。いつかはそうした施設も持ちたいな、とは思っていますが、まだ当分は今の活動を続けたいですね。「あんな年でも元気にやっているんだ」と、元気を与えることができれば、と思っています。
  • 宮竹眞澄さんイメージ1
  • 宮竹眞澄さんイメージ2""

北の☆女性たちへのメッセージ

チャンスだと思えば結果をおそれずに飛び込むべきです。やめることはいつでもできますから。困難にぶつかっても、やり続けようという意志と努力があれば、必ず手を差し伸べてくれる方が出てきます。前向きに行動すれば結果オーライですよ。

取材年月日:
2016年1月20日